火 生 三 昧

うっそうとした杉木立のいっかくに苔むした石の炉が在ります。

 

平安時代 法華経の行者であった応照上人は、その経の一節にある、すべての衆生の罪とがを一身にかぶり火をもってみずからの体を焼き尽くすという喜見菩薩(薬王菩薩の前身)の姿に打たれ、食物を断ち松の葉 草の根を食べて苦行を重ね自らも紙の衣を着て火生三昧の行を実践しました。

 

上人の身体が火に包まれても読経の声は最後まで穏やかで、辺りにはまばゆいほどの光と鳥たちの賛嘆の声が満ち溢れ、その煙は三日三晩熊野灘を漂い続けたと言われます。これは平安時代末の「本朝法華験記」という書物に記されていて、現代の価値観では計り知れない壮絶な上人の衆生済度への想いが込められています。



西国三十三所名所圖會 嘉永元年初版発刊

この本では應照法師として紹介されています。